コロナウィルス発生初期の考察

2020.05.12 

 

「コロナ感染者」、「コロナ発病者」、「コロナ死亡者」等について

 

以下、頭の整理。

 

・日本の「コロナ死亡者」数はほぼ把握され、公表されている。

欧米比で非常に少ない。諸説あるが本当の原因はまだ不明。

これが分かれば、今後の対応策に貢献する可能性がある。

 

・日本国民を「コロナ感染者」と「コロナ非感染者」に区分する。

現在のところ、正確な「コロナ感染者」数は不明である。

「コロナ死亡者」を抑制するために、

「コロナ感染者」を増加させない政策が隔離策であり、

「コロナ感染者」を増加させるのが集団免疫策である。(ほっとくということ?)

どのような政策をとるかは、政府の責任であるが、

それは、死者数をどの程度容認するかを含む政府の価値観により決まる。

日本政府は、今のところ独特の隔離策を取っている。

 

・隔離策について言えば、中国武漢のロックダウンは

極論すれば、「コロナ感染者」と「コロナ非感染者」の区別をしない隔離であり、

韓国の積極的なPCR検査方針に基づく隔離は、一定の「非コロナ感染者」が

「コロナ感染者」扱いとなってもやむを得ないというものである。

これらに対し日本の隔離は、相当数の「コロナ感染者」が

隔離から漏れていてもやむを得ないというものである。

隔離効果に関して、日本は中国、韓国に劣る。

しかし、「コロナ死亡者」死亡率がそれほど高くないこと、

隔離コスト(医療崩壊リスク含む)および「非コロナ感染者」への配慮等を

総合的に考えると、不合理とは言えないと考える。

 

・「コロナ感染者」を「コロナ発病者」と「コロナ未病者」に区分する。

今のところ、正確な「コロナ感染者」数は不明である。

また、正確な「コロナ発病者」数も不明である。

日本政府は日々「コロナ感染者」数を公表している。

この公表数は、正確な「コロナ感染者」数とかけ離れて少ないものである。

ただし、以下に述べるルール適用が一律に行われていれば

正確な「コロナ感染者」数と公表数の相関性が認められ、

その推移の把握は意味を持つ。

 

・日本の公表「コロナ感染者」数は、PCR検査陽性者数である。

日本のPCR検査は、少々の疑いでは検査対象者になれない。

厚労省基準に従い、医師がコロナ感染者と強く疑う場合に限り

実施されるというルールに基づいている。

つまり公表数は「コロナ発病者」の更にその一部ということになる。

したがって、公表数は正確な数より過少となっている。

 

・PCR検査は正確無比でない。

一定の割合で、真陽性の人が陰性と判断されたり、

真陰性の人が陽性と判断されることがわかっている。

安易な検査により、特に陰性の人が陽性と間違われ隔離されることは、

人権侵害となりかねない。

また、医療現場にも無用な負担を強いることになる。

厚労省ルールにはこのリスクを低減する効果がある。

 

・悲しいことに、そこまで対象を絞ってでさえ、

PCR検査能力が絶対的に不足していて、円滑な検査がなされておらず、

手遅れで重症化したり死亡する患者を生む原因になっている。

 

・一方、結果的にこの状況のおかげで、脆弱な医療体制の中、

重篤でない患者があふれることによる医療崩壊

免れることができたという皮肉な面もある。

治療法がない現時点では、「コロナ発病者」であっても、軽症者は、

どこで寝ていても大差ないという判断が頭のどこかにあったのかもしれない。

そこまでわかって取られた政策なら、こわいがすごい。

 

・「コロナ感染者」数は、近く実施予定の抗体検査で

概数はつかめると期待している。

この結果や、更には治療法・ワクチンの開発状況により、

政策が集団免疫策に転ずることがありうる。

これからの経済回復重視による隔離緩和推進に際し、

集団免疫的概念が取り上げられるかもしれない。

 

以上

高校同窓会投稿文

今回の秋の高校同窓会には特別な思いがあります。
ご存知の通りコロナ禍で数回、会の開催が延期に
なりました。当初は、友人のU村治君、余命宣言を受
けていた大手電機メーカー生粋のロボットエンジニア・
N村徹君の三人で参加する予定でした。弱ってきた
N村君が出席に前向きなので、U村君が提案し、大阪
から広島まで一緒に車で向かうつもりでした。もう
彼は亡くなって参加できない。とても残念です。
ところで、妻はアルツハイマー認知症です。案外
ぼくでも家事はこなせるものです。現役引退後はソ
フトボールを趣味とし、審判の資格を取ったり、中学
のクラブ活動に顔を出したりして、気分転換の術も
ありました。しかし、次第に彼女が一人でいられなく
なります。ぼくは気分転換ができず鬱気味に。物理的
に同窓会出席は無理かなと考え始めた折、H内君か
らこの文集編集お手伝いの話が出たのです。これな
ら会出席の代わりに参加できるかと手を上げました。
やってみると楽しい。同窓とはいえ交流のなかっ
た編集メンバーとの Zoom 会談。担当する何十年か
振りの旧友に昔の思い出を交えながらメールで投稿
依頼すると、色んな返事が帰って来る。もらった投稿
内容もさることながら、返信メールに意外な思い出
や事実が書かれている。審判に行けずに鬱っている
ぼくには救いでした。
また編集メンバーの一人、F原君は脳神経外科
ながら認知症の臨床にも関心があるとのこと。思い
切って最近の悩みをメールで相談したところ、親身
なアドバイスをくれました。背中を押してもらい、認
知症者のグループホームをセカンドハウス的に利用
し、彼女が自宅と行き来できる体制を取ることにし
ました。上手くいけば、同窓会に参加できそうです。
この同窓会がなく、文集編集のサポートに手を上
げなければ、ちょっと寂しくても一人の時間が持て
る現在の状況には至らなかったでしょう。やや色彩
に乏しい印象の高校時代に比べ、71歳のぼくは一
見素朴ながら調和あるマティス的色彩の中にいます。
会を前にして、個性豊かな修道の仲間たちとの良き
コミュニケーションに深く感謝しています。 以上

話し方/佐和子先生の教えの一部

2022.01.01

1.挨拶
話し方を学ぶのは、上手にしゃべるためだと思う人が多いが、実は基本的な本当の
目的は、良い人間関係をつくることにあります。良い人間関係は、幸福の原点です。
話し方は貴方を幸福にします。
挨拶は、幸福になるための第一歩です。挨拶の挨は開くという意味、挨拶の拶は迫る
という意味です。つまり挨拶は心を開いて、人に迫るものです。特にリーダーは積極
的に挨拶してほしい。人の後ろ姿に声を掛けるくらいでないと。挨拶は、人と人の間を
埋めます。挨拶は、人と人の間に波動を生みます。その結果、挨拶をすると、人と人
の間に親近感が生まれます。挨拶をしようねと子供の時から教わっているのに、大人
たちは忘れている。私はことあるごとに、例えばエレベーターの乗り降りや、電車の座
席に座る際等、声掛けしているが、反応のあることは少ない。でも、それを続けると、
少なくとも貴方は挨拶のできる人になります。そして周りが貴方に好意的になっていき
ます。
以下、あいさつのコツ。あ(明るく)、い(いつでも)、さ(先に)、つ(続ける)
(ぼくは、10年前にこの話を、講演会で倉部先生から聞いてしびれました。退職したら
、近所の奥さんに積極的にあいさつするのよというアドバイスに目が開かれる思いで
した。十分ではないが、今も努力しています。おかげで幸せな60代が送れた気がして
います。)
2.返事
以下、返事のコツ。か(感じよく)、え(笑顔で)、す(素直に)
返事の際は、まず相手を見て、すぐに近づくこと。
「はーい」、「はいはい」、「何ですか」、「はい、分かってます」はダメですよ。
返事が良い人は、人に頼まれ、人に出会い、物事が分かってくる人生になる。
以上

摺(すり)さんの話

2023.01.01

 

近況代りにソフトボール審判、摺(すり)さんの話しをさせてください。

審判仲間に摺さんというご長寿91歳でバリバリ現役の方がいます。

Y市審判のレジェンドともいえ、

私に市のスポーツ指導員という資格を薦めてくれた人でもあります。

それを契機に日本スポーツ協会のソフトボールコーチ1という資格も取りました。

極めてお元気で、サイクリング車を颯爽と乗りこなし、

市内各中学のクラブ練習に顔出しされてきました。

残念ながら夏に女子中学県大会の応援のためY市からC市に向かう途中

自転車転倒で鎖骨を3本折られ、現在休止中、さすがに本格サイクリング車はおやめになった方が。

 

摺さんは朝鮮引揚者です。

お父様は京都大学法学部のご出身で朝鮮官吏になられた方です。

幼い頃にはお父上の膝の上でクラシックレコードを

鑑賞をされていたとか。現在もクラシックファンです。

戦後、旧制中学中退で引上げ、工場勤務の仕事につかれました。

現在は賃貸アパートのオーナーで、

その一室で管理人として、お一人で暮らされています。

ご家族の話は聞いていませんが、噂ではお嬢様がアメリカとか。

ご苦労されているはずです。そのためか、時々、怖さが出ます。

でも、根は優しい。写真の眼をご覧ください。

縁あって中学女子ソフトボールに出会い、生きがいにされています。

 

コロナ下で「忘れられた日本人」(宮本常一岩波文庫)を

おもしろく読みましたが、

現代版があればその中に入れたい。

 

K大ソフトボール部 準草創期小話 2017.12.17

 

 序文 

 昭和46年(1971)教育学部入学、51年法学部卒業。ウインドミルの習得ならず投手を断念、左利き一塁手。小技を駆使しつつ、時々思いがけないヒットを打っておりましたkazuchan334です。

 以下、内容軽薄なれど歴史的事実を残さんとする創部4期生からの準草創期小話です。

 

ユニフォーム

 本誌創刊号、創始者メンバーK原林さんの投稿写真を見てびっくり。知りませんでした。白の体操服上下が初代ユニフォームだったとは。とはいえ、3年後の我々4期生入学当時も驚きもの。上下白の練習用ユニフォームに学校名のアルファベット文字と背番号を濃紺のフェルト生地から自分たちで切り抜き、縫い付けていたのです。アンダーシャツは白の綿下着でした。

 創設期を語る会で年一回お会いする好敵手・好投手だったD大のN原氏によると、うちらしくて悪くなかったとのこと。

 翌47年、2期生で当時3回生キャプテンO本さんのご尽力で淡いえんじベースの注文ユニフォームにグレイドアップ。先輩好みの阪急ブレーブス風になると聞いて、カープファンとしてはえらいこっちゃと心配しました。でも予算の都合でブレーブスベースとは思えないオーソドックスなものとなり安堵いたしました。

 

体育会加入

 今までのOB誌で体育会加入の功労者と書かれ、面はゆいです。創部メンバー(特に初代主務マネージャーのN国さん)をはじめとする諸先輩等の熱い思いに押され体育会と接触しました。地元大学リーグの優勝実績や確か大手新聞のスポーツ欄に小さいものながらリーグ紹介の記事が出たこともあり、体育会事務局は好意的でした。準硬式野球部からY田グラウンドの使用に支障がありとの意見あるも、朝練主体のため問題なしで結着。部長には形だけということで教養学部教育学のT田知義先生(後、学部長)にお願いしました。加入決定後に体育会の機関新聞に投稿した駄文を引っ張り出してきました。OBサイトにアップしてもらいます、良ろしければご覧ください。「女の子と一緒にやれてうらやましいね」という一部の冗談を無視できず、男子ソフトボールのすばらしさを世界選手権まで登場させて力説しております。今読むと若さを感じ、なつかしいです。

 

花の四天王 (4期生4人組はこう呼ばれたい)

 最後に4年間ともにがんばった同期4人を簡単ながら褒め称えておきます。

・T津君 三塁・遊撃手。元気はつらつ、するどい空振りで蝶々を振り落とす等、長嶋風味の攻守に華あるプレーヤーでした。名キャプテンで、当大学グラウンドでのリーグ開催を実現したり、学園祭で数々の新企画を繰り出したりの実行力に感服、尊敬しておりました。

・K瀬君 二塁手。ガンバリズムに組しない飄々とした人柄とプレイ振り。2回生秋終り、一期生引退後、唯一の2期生としてクラブを牽引してきたO本さんが引退、更に工学部で多忙なS良さんやT津、Y岡が練習を抜けがちな時期、低調になりかけの朝練をさりげなく引っ張っていたのは堅実プレーヤーの彼です。

・Y岡君 捕手。気は優しくて力持ち。速球とライズボールが冴えるスリングショットで強気のエースS良さんとの相性抜群。強肩で関西リーグ対戦校は盗塁意欲を完全に喪失。かつ強打の長距離砲で引っ張りよりも右中間に伸びる打球が印象的。当時、学生との試合数が少ないため、ゴムボールの一般社会人との大会にも出場、国体出場常連の社会人クラブチームとの因縁試合で打球を高々と高圧線にぶつけた伝説の人。

・kazuchan334 序文参照

 

結び

今から思えば牧歌的な時代でした。あれからK大ソフトボール部が連綿と続き、多くの優秀な人材を輩出していることは喜ばしい限りです。チームは今も朝練を続けているとのこと。自分たちの血がクラブに受け継がれているようでこれもうれしい。ソフトボールとは卒業後40年以上縁がありませんでしたが、最近時間ができたので審判資格を取りました。いつか、現役の皆さんやOB戦の審判ができればいいなと思っています。それではK大ソフトボール部OBの皆さん、それぞれの良き思い出を胸にこれからの人生に気合を入れて「プレイボール!」

 

(了)

 

ビットコインってなんでしょう?

本日は、ビット・コインについてお話します。

 

ビット・コインの最大の特色は、世界中で通用するお金でありながら、

国や国際機関、銀行含む企業等のあらゆる既成の権威に頼っていない点にあると思います。

 

これを理解していただくために、まず、お金の話しをさせてください。

皆さん、お金は好きですか?

私は好きです。

でも、お金って何なんでしようか?

皆さんは、どう考えますか?

 

世間一般では、お金が次の三つの働き方をすると云われています。

(わかりやすいように小生風に言い切っています)

1 買物に使う

2 貯蓄に使う

3 商品の値段を知る

これらの機能をすべて果たすと多くの人が認めているのがお金です。今の日本では、日銀が発行している日銀券と造幣局が出している各種硬貨がお金です。

預金もお金だという考え方があるのですが、ビット・コインの説明のためにはそこまでは考えません。

 

それでは、どうして日銀券や造幣局硬貨がお金として流通しているのでしょうか?

昔は貝殻や塩、各種金属や穀物がお金でした。持ち運びができて、希少価値があるもので、好きなものに交換できて便利だったからでしょう。

お金がお金であるためには、それを使う人が信用することが必要です。昔はお金自体の価値を信用していましたが、信用されれば紙切れでもOKです。日銀券は紙ですよね。いくら高度の印刷技術が施されていてもしょせん紙は紙です。物自体の価値としては、さほどのものではありません。でも皆さんはなぜ紙を信用するんですか?

戦前は日銀券は兌換紙幣であり、制度的に金と交換できました。不換紙幣になってもドルに交換すればドルが交換紙幣でワンクッションおいて金にすることができる時代もありました。でも、今はドルも不換紙幣になったので、日銀券はただの紙なのです。

会計的には、日銀の借用証書です。つまり日銀が私たちに借金しているという証です。でも日銀にどうやって借金を返済してもらえるのでしょうか?よくわかりません。法律的には、国内での流通が義務付けられています。法律に守られているから安心ということはあるかもしれませんね。付け加えれば、外国為替市場がありますから、他通貨への交換が可能です。でも外国通貨といえどもその価値は五十歩百歩なのです。でも私たちは、制度的にゴールドに変えられない円を、国を信用してお金と認めている訳です。

お金って不思議なものだと思いませんか?

 

<おまけ>_なお、国は通貨発行権を持つことにより、無尽蔵にお金をつくることができます。そんなことをされたらたまりませんが、今は国民が国の自制を信じていることになります。赤字国債もこの通貨発行権があり、最終的に日銀が国債を買い取ることができるので発行できている面があります。

 

さて、ビット・コインのお話しです。

 

ビット・コインはコンピュータ・ネットワークを使ったお金です。ナカモト・サトシと名乗る謎の人物のアイディアに基づきます。残念ながら、仕組みの詳細は難しすぎてよくわかりません。ただ理解できる範囲で、その特色をお伝えしたいと思います。

 

ビット・コインの特色は、コンピュータ・ネットワーク上の記録の正確性が信用の基礎となっていることです。国の権威や正統性とは関係のないお金です。

何の記録かというと、このお金を使った過去の全ての取引履歴です。このネットワーク上の記録を仮に台帳と呼ぶとすると、この台帳は全く同じものがコンピュータ・ネットワークにより世界中の端末に送り届けられており、この台帳で今までたくさんの取引が行われてきたことが証明されることになるので、自分もそのように使えるはずだと考えられているのです。

 

<おまけ>_たくさんの商取引が行われてきたことが法律的に担保され、視覚的にも明瞭な裏書の多い手形がなんとなく信用できるのに似ているという人もいます。

 

なぜ台帳が間違いないのかというと、ブロック・チェーンという暗号技術が入っているからです。ブロックというのは連続する複数の取引がまとめられた記録です。このまとまりがチェーンのようにつながった形で記録されるのでブロック・チェーンといいます。書いている私もその辺は比喩的イメージでしか理解できません。この一塊のまとまりを閉じる際に、とても複雑な計算が必要になり、この計算が完結すると、もう後からいじることのできない台帳になります。世界中のビット・コインを使った取引が今現在も電子的に記録されており、約10分毎くらいにブロックが作成されていますが、このブロックを閉じる計算をしているのは、いわば入札制です。早く計算してこのブロックを完成させた人に決められたビット・コインが支払われます。このルールで、国が関与しないお金ができたのです。

 

世界中で同じ通貨が使えるので便利です。送金コストも安くなります。国が関与しないので自国通貨を信用しない人はこれで貯蓄しようとします。外国為替取引の対象となっているのでこの通貨が急騰するとみなして投機の対象にする人も出てきました。

 

一方、国や中央銀行は自分たちの特権が奪われるのではないかという懸念を持っています。ブロックチェーン技術を使って、似たような他の暗号通貨も誕生していますし、ブロックチェーンの管理を自分たちで行おうとする銀行や国も出てきました。(三菱UFJ銀行などは真剣に検討していますし、中国は自己管理できる別のビット・コインをつくりました。)

すでに世の中に大きな影響を与えています。

 

また、ブロック・チェーンという暗号技術は、これを公的な証明書などに利用しようという動きを生み、現に実現している国もあるようです。

 

以上

審判と大谷翔平

今日は審判と大谷翔平君というお話しです。

私は、今、ソフトボールの審判を楽しんでいます。

なぜ、始めたかというと、大学時代ソフトボール部に所属していて、このスポーツが好だといきうのが、最大の理由です。

好きが高じて審判だけでなく、中学生へのコーチの勉強もしたいと考えています。

審判を始めて思うのですが、こいつはあまり割の良くない稼業です。ちゃんとできて当たり前、ちょっとミスったり、選手や応援者の意向添わないと、非難ごうごう。                                 試合の円滑な進行のための黒子だと承知していますが、選手や応援者の反応にムッとしたことが、一度や二度ではありません。                     

我々の判定が勝敗を左右しますし、審判外の皆さんは勝つことを目的でプレイしたり、                応援したりしているので、その気持ちはわかります。私がプレイヤーの時はまさにそうでした。

それでも審判をやるのはなぜなんでしょうかね。ソフトボールが好きだというのもありますが、比較的複雑なルールを適用する裁判官のようなところがあるからか、      

あるいは黒子ながらゲームを陰から動かす演出家のようなところがあるからなのか。  

ただ、それゆえ独善家にならず、自分に厳しく、公平でなければならないとも考えています。さらにルールを完全理解するのは至難の業ですし、わかっていても瞬時の判断には熟練が必要です。人間である以上、ジャッジの正確性も完全ということはありません。でもその不可能を目指さないといけない、そこが面白いのかも。

あっ、そうそう大谷翔平君でした。

一昨年コーチの講習会に参加しました。 その時配布された資料に「大谷翔平花巻東高校1年時に立てた目標達成表」というのがありました。それは曼陀羅形式で72項の目標が挙げられています。その中の「運」の項目に「あいさつ」、「ゴミ拾い」、「部屋掃除」、「道具を大切に扱う」、「プラス思考」、「応援される人間になる」、「本を読む」という目標に並べて、「審判さんへの態度」というのを発見したのです。                

驚きましたね。高1ですよ。                          

これらの目標は現在、他のものを含めてすべて達成されているように思います。プレイヤーからこのような目標を立てられて、審判としてはうれし涙が出てきますね。

先日、大リーグで彼と審判との間で問題があったような報道がありました。しかし、ぼくは心配していません。いずれアメリカの審判にも彼の本質は理解されると思います。           りっぱすぎて神様みたいな高1ですね。応援したくなりますよ。                            私がコーチするにあたっては、彼のような人が育ってほしいし、コーチ・審判としても彼から学ばねばと強く思います。

いつか審判のお話をしたいと思っていましたが、最近の彼の活躍に触発されて、こんな文章を書いてみました。

以上