K大ソフトボール部 準草創期小話 2017.12.17

 

 序文 

 昭和46年(1971)教育学部入学、51年法学部卒業。ウインドミルの習得ならず投手を断念、左利き一塁手。小技を駆使しつつ、時々思いがけないヒットを打っておりましたkazuchan334です。

 以下、内容軽薄なれど歴史的事実を残さんとする創部4期生からの準草創期小話です。

 

ユニフォーム

 本誌創刊号、創始者メンバーK原林さんの投稿写真を見てびっくり。知りませんでした。白の体操服上下が初代ユニフォームだったとは。とはいえ、3年後の我々4期生入学当時も驚きもの。上下白の練習用ユニフォームに学校名のアルファベット文字と背番号を濃紺のフェルト生地から自分たちで切り抜き、縫い付けていたのです。アンダーシャツは白の綿下着でした。

 創設期を語る会で年一回お会いする好敵手・好投手だったD大のN原氏によると、うちらしくて悪くなかったとのこと。

 翌47年、2期生で当時3回生キャプテンO本さんのご尽力で淡いえんじベースの注文ユニフォームにグレイドアップ。先輩好みの阪急ブレーブス風になると聞いて、カープファンとしてはえらいこっちゃと心配しました。でも予算の都合でブレーブスベースとは思えないオーソドックスなものとなり安堵いたしました。

 

体育会加入

 今までのOB誌で体育会加入の功労者と書かれ、面はゆいです。創部メンバー(特に初代主務マネージャーのN国さん)をはじめとする諸先輩等の熱い思いに押され体育会と接触しました。地元大学リーグの優勝実績や確か大手新聞のスポーツ欄に小さいものながらリーグ紹介の記事が出たこともあり、体育会事務局は好意的でした。準硬式野球部からY田グラウンドの使用に支障がありとの意見あるも、朝練主体のため問題なしで結着。部長には形だけということで教養学部教育学のT田知義先生(後、学部長)にお願いしました。加入決定後に体育会の機関新聞に投稿した駄文を引っ張り出してきました。OBサイトにアップしてもらいます、良ろしければご覧ください。「女の子と一緒にやれてうらやましいね」という一部の冗談を無視できず、男子ソフトボールのすばらしさを世界選手権まで登場させて力説しております。今読むと若さを感じ、なつかしいです。

 

花の四天王 (4期生4人組はこう呼ばれたい)

 最後に4年間ともにがんばった同期4人を簡単ながら褒め称えておきます。

・T津君 三塁・遊撃手。元気はつらつ、するどい空振りで蝶々を振り落とす等、長嶋風味の攻守に華あるプレーヤーでした。名キャプテンで、当大学グラウンドでのリーグ開催を実現したり、学園祭で数々の新企画を繰り出したりの実行力に感服、尊敬しておりました。

・K瀬君 二塁手。ガンバリズムに組しない飄々とした人柄とプレイ振り。2回生秋終り、一期生引退後、唯一の2期生としてクラブを牽引してきたO本さんが引退、更に工学部で多忙なS良さんやT津、Y岡が練習を抜けがちな時期、低調になりかけの朝練をさりげなく引っ張っていたのは堅実プレーヤーの彼です。

・Y岡君 捕手。気は優しくて力持ち。速球とライズボールが冴えるスリングショットで強気のエースS良さんとの相性抜群。強肩で関西リーグ対戦校は盗塁意欲を完全に喪失。かつ強打の長距離砲で引っ張りよりも右中間に伸びる打球が印象的。当時、学生との試合数が少ないため、ゴムボールの一般社会人との大会にも出場、国体出場常連の社会人クラブチームとの因縁試合で打球を高々と高圧線にぶつけた伝説の人。

・kazuchan334 序文参照

 

結び

今から思えば牧歌的な時代でした。あれからK大ソフトボール部が連綿と続き、多くの優秀な人材を輩出していることは喜ばしい限りです。チームは今も朝練を続けているとのこと。自分たちの血がクラブに受け継がれているようでこれもうれしい。ソフトボールとは卒業後40年以上縁がありませんでしたが、最近時間ができたので審判資格を取りました。いつか、現役の皆さんやOB戦の審判ができればいいなと思っています。それではK大ソフトボール部OBの皆さん、それぞれの良き思い出を胸にこれからの人生に気合を入れて「プレイボール!」

 

(了)