橋爪先生の記事を読んで


2020/5/5の日経に”緊急時の社会学”と題して橋爪大三郎氏が投稿していた。
明快である。

コロナウイルスは自然現象だ。科学や医療が扱う。
感染は社会現象、公衆衛生の問題で、政府の介入が有効である。
 新型コロナ感染の拡大は緊急事態であり、市民を守るため政府が行動する。
 緊急事態に政府が必要な行動をとるのが国家緊急権である。
 法の定める場合も、法を超える場合もある。
 明治憲法にはこの備えがあった。

市民を守るための優先順位は、まず人命だ。
人命を守るため、商店を閉め工場を止め、私権も制限するという痛みを伴う。
人の命を救うため、政府の介入が取られ、損害(コスト)が発生する。
損害は一部に集中しがちだ。
市民のために生じた損害を社会全体で負担しよう。つまり補償だ。
それが正義で感染防止のカギ、政府はこれを柱にすべきだ。

補償は正しいのか。戦争被害は補償しない。自然災害も補償しない。古代からの慣習法だ。
(だが感染補償には慣習法は存在しない。だから条理で考えよう)【かっこ部分は筆者の追記】
外出制限は政府が決定したのだから政府の責任だ。
公益のために憲法上の権利を制限し、損害もある。補償するのが正しい。
政府は感染と経済を両方踏まえつつ市民を守る。日頃の哲学の素養がものをいう。

補償は、経済対策でも経済の話でもない。
公益のために払ったコストの埋め戻しにすぎない。
そして補償はすぐ払うべきものだ。
だから財源を税金で集めている暇はない。
ならば、赤字国債で賄おう。巨額でも仕方ない。
それで生活ができ、企業が破産しなければ、将来の回復への道筋がつく。』

今回の補償は人命のためのものなのかな。間接的にはそうなんだけど。
補償は本来これからの増税で賄われるべきものだという覚悟が皆に出来てる?
赤字国債でしのいだ場合、すでに1100兆円の政府の借金に上乗せされる
ことになるけど、本当に大丈夫?
赤字国債は通常、将来の増税か物価の上昇で回収されると考えられている。
ほっとけば、上手くいくという人もいる(学者の中にも)みたいだけど、
信じていいのかな?
感覚的には日本人を貧乏にし、国力を弱め、
それを背景に社会が乱れることに繫がりかねない気がする。
それで混乱に乗じてのし上がれる人も出るかもしれないけど。

これらを回避する具体案として
パンデミック補償原資は年率1%、個人向け永久国債で賄えばよい、
義侠心と1%の魅力で売れるという意見があった。
面白いかもしれない。
永久国債は返済期限がなく、未来永劫利子のみが払い続けられる国債だ。
日本全体の家計金融資産総額が1800兆円あることを背景とした
寄付と貯蓄の折衷案みたいな考えだね。

また、今回の一律10万円は補償ではなく経済対策と考えた方が混乱は少ない。

以上

日本のPCR検査待望論への違和感の基礎

2020.05.12 

 

「コロナ感染者」、「コロナ発病者」、「コロナ死亡者」等について

 

以下、頭の整理。

 

・日本の「コロナ死亡者」数はほぼ把握され、公表されている。

欧米比で非常に少ない。諸説あるが本当の原因はまだ不明。

これが分かれば、今後の対応策に貢献する可能性がある。

 

・日本国民を「コロナ感染者」と「コロナ非感染者」に区分する。

現在のところ、正確な「コロナ感染者」数は不明である。

「コロナ死亡者」を抑制するために、

「コロナ感染者」を増加させない政策が隔離策であり、

「コロナ感染者」を増加させるのが集団免疫策である。(ほっとくということ?)

どのような政策をとるかは、政府の責任であるが、

それは、死者数をどの程度容認するかを含む政府の価値観により決まる。

日本政府は、今のところ独特の隔離策を取っている。

 

・隔離策について言えば、中国武漢のロックダウンは

極論すれば、「コロナ感染者」と「コロナ非感染者」の区別をしない隔離であり、

韓国の積極的なPCR検査方針に基づく隔離は、一定の「非コロナ感染者」が

「コロナ感染者」扱いとなってもやむを得ないというものである。

これらに対し日本の隔離は、相当数の「コロナ感染者」が

隔離から漏れていてもやむを得ないというものである。

隔離効果に関して、日本は中国、韓国に劣る。

しかし、「コロナ死亡者」死亡率がそれほど高くないこと、

隔離コスト(医療崩壊リスク含む)および「非コロナ感染者」への配慮等を

総合的に考えると、不合理とは言えないと考える。

 

・「コロナ感染者」を「コロナ発病者」と「コロナ未病者」に区分する。

今のところ、正確な「コロナ感染者」数は不明である。

また、正確な「コロナ発病者」数も不明である。

日本政府は日々「コロナ感染者」数を公表している。

この公表数は、正確な「コロナ感染者」数とかけ離れて少ないものである。

ただし、以下に述べるルール適用が一律に行われていれば

正確な「コロナ感染者」数と公表数の相関性が認められ、

その推移の把握は意味を持つ。

 

・日本の公表「コロナ感染者」数は、PCR検査陽性者数である。

日本のPCR検査は、少々の疑いでは検査対象者になれない。

厚労省基準に従い、医師がコロナ感染者と強く疑う場合に限り

実施されるというルールに基づいている。

つまり公表数は「コロナ発病者」の更にその一部ということになる。

したがって、公表数は正確な数より過少となっている。

 

・PCR検査は正確無比でない。

一定の割合で、真陽性の人が陰性と判断されたり、

真陰性の人が陽性と判断されることがわかっている。

安易な検査により、特に陰性の人が陽性と間違われ隔離されることは、

人権侵害となりかねない。

また、医療現場にも無用な負担を強いることになる。

厚労省ルールにはこのリスクを低減する効果がある。

 

・悲しいことに、そこまで対象を絞ってでさえ、

PCR検査能力が絶対的に不足していて、円滑な検査がなされておらず、

手遅れで重症化したり死亡する患者を生む原因になっている。

 

・一方、結果的にこの状況のおかげで、脆弱な医療体制の中、

重篤でない患者があふれることによる医療崩壊

免れることができたという皮肉な面もある。

治療法がない現時点では、「コロナ発病者」であっても、軽症者は、

どこで寝ていても大差ないという判断が頭のどこかにあったのかもしれない。

そこまでわかって取られた政策なら、こわいがすごい。

 

・「コロナ感染者」数は、近く実施予定の抗体検査で

概数はつかめると期待している。

この結果や、更には治療法・ワクチンの開発状況により、

政策が集団免疫策に転ずることがありうる。

これからの経済回復重視による隔離緩和推進に際し、

集団免疫的概念が取り上げられるかもしれない。

 

以上